ビル建設によって絶景スポットとしての歴史に幕を閉じた、西日暮里「富士見坂」の今

東京都荒川区、西日暮里3丁目にある「富士見坂」へ来た。

その名の通り、富士山を望むことができる観光スポットであり、江戸時代から長く親しまれてきた。


「富士見坂」という名の坂は関東付近にいくつか存在するが、いずれも昭和期のビル建設により眺望を遮られ、富士山を望むことはできなくなっている場合が多い。都内にある「富士見坂」のうち、最後まで富士山を見ることができたのがここ、西日暮里の「富士見坂」だった。


毎年1月下旬と11月上旬には、夕日が富士山と重なる「ダイアモンド富士」を見ることができたため、坂が人で溢れていたそうだ。


2013年に文京区千駄木3丁目にマンションが建てられたことによって、現在は富士山を見ることはできない。


坂の上には今でも案内パネルが残されている。文章の印字されたテープを貼って追記がなされていた。「都心にいくつかある富士見坂のうち、最近まで地上から富士山が見える坂でした」。


2004年11月には、国土交通省関東地方整備局によって「関東の富士見百景」にも選出されている。国土交通省の公式サイトを確認したところ、2024年1月現在も「(現在は見えません)」という但し書きとともにリストに存在していた。


英語版案内パネルの中に、富士山が見えていた末期頃の眺望の写真が掲載されていた。

数棟のビルが建築され、徐々に富士山が隠れていったのだ。


2013年、富士山が完全に隠れることを阻止するために、近隣住民は「日暮里富士見坂を守る会」を立ち上げた。ビルの建築主と話し合いを重ねたり、文化庁へ要望書を送ったりといった活動を続けた。


眺望の保全を祈願したお焚き上げも行われた。招かれたのは、古くから日本各地に伝わる富士山信仰「富士講」の御師(おし)である。御師とは富士山へ祈りを捧げ、信者を指導する者のこと。


取材をしたのは2023年秋。富士山が見えなくなってちょうど10年目の年だ。

地元の人たちはこの坂を通るたび、やるせない感情を抱いていることだろう。


江戸時代から地域の人たちに愛されてきた西日暮里「富士見坂」。一つの時代を終えた風景がそこにあった。


参考資料:
https://www.city.arakawa.tokyo.jp/unet/issue/saihakken/0406/nishi05.html
https://fujimizaka.yanesen.org/
https://www.youtube.com/watch?v=ySTL5NFGUaA
https://www.ktr.mlit.go.jp/chiiki/fujimi0053.html

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ライター
山沢智知

報道写真を撮影しています。近代史、地域史、風景史。取材したことは、WEBメディア「惑星レコード」で記事にしています。稀に小説も書きます。日経「星新一賞」、北九州市立文学館「子どもノンフィクション文学賞」受賞。アイコンは拙著の短編アニメから巨大うさぎ。

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